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 また私のここにいわゆる文芸は文学である、日本における文学といえば先小説戯曲であると思います。順序は矛盾しましたが、広義の教育、殊に、徳育とそれから文学の方面殊に、小説戯曲との関係連絡の状態についてお話致します。日本における教育を昔と今とに区別して相比較するに、昔の教育は、一種の理想を立て、その理想を是非実現しようとする教育である。しこうして、その理想なるものが、忠とか孝とかいう、一種抽象した概念を直ちに実際として、即ち、この世にあり得るものとして、それを理想とさせた、即ち孔子を本家として、全然その通りにならなくともとにかくそれを目あてとして行くのであります。

 この静かな宵を心地よく白い毛布の中に二時間ほど送った時、余は看護婦から二通の電報を受取った。一通を開けて見ると「無事御帰京を祝す」と書いてあった。そうしてその差出人は満洲にいる中村是公であった。他の一通を開けて見ると、やはり無事御帰京を祝すと云う文句で、前のと一字の相違もなかった。余は平凡ながらこの暗合を面白く眺めつつ、誰が打ってくれたのだろうと考えて差出人の名前を見た。ところがステトとあるばかりでいっこうに要領を得なかった。ただかけた局が名古屋とあるのでようやく判断がついた。ステトと云うのは、鈴木禎次と鈴木時子の頭文字を組み合わしたもので、妻の妹とその夫の事であった。余は二ツの電報を折り重ねて、明朝また来るべき妻の顔を見たら、まずこの話をしようかと思い定めた。

 相手は汗ばんだ額を、思うまま春風に曝して、粘り着いた黒髪の、逆に飛ばぬを恨むごとくに、手巾を片手に握って、額とも云わず、顔とも云わず、頸窩の尽くるあたりまで、くちゃくちゃに掻き廻した。促がされた事には頓着する気色もなく、
「君はあの山を頑固だと云ったね」と聞く。
「うむ、動かばこそと云ったような按排じゃないか。こう云う風に」と四角な肩をいとど四角にして、空いた方の手に栄螺の親類をつくりながら、いささか我も動かばこその姿勢を見せる。
「動かばこそと云うのは、動けるのに動かない時の事を云うのだろう」と細長い眼の角から斜めに相手を見下した。
「そうさ」
「あの山は動けるかい」